米国クリーニング業界の年次を追って

先日、全ドラ・関さんより新聞記事のコピーをいただきました。

それは『日本のクリーニング過去、現在、未来~米国STORM WARNING の再検討より~』という昭和50年1月1日の記事です。

そこにはとても興味深い内容が書かれています。今の日本にこの当時のアメリカの失敗がとても参考になるのではないか・・・。

私も以前アメリカのクリーニング業者をいろいろ見学させていただきました。その時にいろいろな資料をいただいてきました。

平成9年(1997年)の6月にラスベガスで開催された展示会Clean’97 視察に行った際に、IFIからいただいた【米国クリーニング記録~紙の業界年次表】を今回から少しづつブログに掲載していきます。

1967年から1975年までの年次表になります。

1967年(昭和42年) クリーニング業者、機材商、全盛期をやや過ぎる。
1968年(昭和43年) 12月NID(米国ドライクリーニング協会)、AIL(米国ランドリー協会)、LAKATA(米国クリーニング機材組合)、各組合共同して業界に、非常警報を発表、業界にまつわる環境が変わりつつあることを、他の産業に例えて発想の転換を求め、近視眼的経営の改善を経営者に促す。
1969年(昭和44年) クリーニング業者、機材商、売り上げ減少の傾向に入る。ベトナム戦争、インフレ、物価高の悪循環が始まる。
アドコ社(洗剤メーカー)では、この年を契機に売上が減少し始める。
1970年(昭和45年) LAKATAの会長、1971年には正味利益が“0”になるだろうと警告発表。
コインショップ施設数全米で40,000店となり、パッケージプラント店を脅かす。
日本では年平均15%〜20%の売り上げ増時代。
1971年(昭和46年) アメリカの繊維産業Wニット(裏地なしスーツ類)製品、大量販売、物価高をたくみにとらえ、一般大衆に爆発的ブームをおこす。ニットイノベーション、ニット革命とまで言われた。家庭洗濯、コイン全盛期。
1972年(昭和47年) アメリカのクリーニング業にとって、最大の危機に入ったと言われた。非常警報発表後3年にして、予測が的中し始めた。3月の全米大会で旧NIDの会長が暗い発表を行い、反響をおこす。「もし、このままの状態で営業を続けるならば、3年以内に1/3の業者が商売を見失うであろう。それは、便利で簡単な、家庭洗濯のできるイージーケア繊維の到来だ。」と化合繊の大量出現を最大の理由にあげている。対抗策として、コインランドリーの併設、ユニフォームレンタル等、資力のあった新しい経営形態とサービスの多角化を促す。
パッケージプラントにコインランドリー、ドライを併設したオールサービスセンター方式が出現、clean&steamとかEasy Care Cleaning という化合繊を処理するサービスが始まった。
NIDとAILが合併して新しくIFI(International Fabricare Institute)となる。
7月、市販に貼付するラベルの表示に水洗いできるという新表示法令が制定され、家庭洗濯やコインランドリーに有利な感じを与え一時的に追い打ちをかけられる。コイン店は43,000店となり全盛を極める。
アメリカのクリーニング業界は、転換期に入ったと言われる。このような事態に対して、IFIを中心として全米のプロクリーニング業者、関連機器メーカー、資材商の3者が一体となって、お客を取り戻すキャンペーンを開始した。
ポスター、伝票、また、カウンターで「ラベルがなんと言おうと、それは問題ではない、すべての衣類はドライクリーニングするのがよりベターなのだ。」とプロ業者の特質をアピールした。
今回は、1967年から1972年のアメリカクリーニング業界の年次をご紹介しました。

次回は1973年からをご紹介します。